M16Aのブログ

うつ病と診断された私の回復までの軌跡です。

きっかけと原因

私がうつ病になってしまったきっかけについて綴っていきます。

備忘録的な部分もありますので、読み辛いかもしれませんのでご容赦ください。

また、結構な長文なので休み休み気長〜に読んでください。

あと、結構最近の出来事です。

 

私の場合はズバリ、タイミングです。

 

うつ病って私もなるまでは、何かしら恒常的な精神的ストレスが長期間に渡ってかかり、徐々になるものだと思っていました。

ですが、今思い起こせばあの時に始まっていたんだなと思います。

どういったタイミングでうつへと進行していったのかですが、私の場合は父の緊急入院と余命宣告でした。※父はまだ闘病中で自宅で療養しています。特に管はまだついていないです。

 

今年2019年5月末に父が吐血により緊急搬送され、6月に主治医より余命2~3ヶ月の診断を受けました。

丁度、時期を同じくして私も昇格となり、先輩社員(同役職)と一緒に新チームを立上げようとしていました。サラリーマン的には大事な時期です。

 

ですが、父の余命宣告からすぐにあることがおきます。

 

何だかわからないけど、心にブレーキがかかってしまっている感じ、そしてなんか心に霞がかかったような感覚がおき始めました。

そして、父をいつ亡くしてしまうんだろうという言い知れぬ不安感が、朝、目覚めた時に襲ってくるようになりました。

最初は気が動転していて、疲れているのだろうくらいに考えていたんですが、日を追うごとに心のブレーキ感覚は増していき、霞は濃霧へ、不安感は絶望感へと変化していきました。

その頃から、自身で考えて業務を行ったり、こうやったらもっと良くなるといった改善活動が見つけられなくなり始め、言われたことしかできなくなっていきました。

そのせいで、先輩社員や上司からキツめのフィードバックをもらったりと仕事もうまくいかなくなり始めます。

 

そして、父が退院して自宅療養が始まった7月中旬に私の婚約者が身籠もっていることがわかり、歓喜しました。父にはまだ孫がいなかったので、もしかしたら孫パワーで孫を見るまでは耐えてくれるのではないかと希望が見えた時期です。

※決してデキ婚ではないです。父のことでいつ籍を入れるか話し合いをしている最中でしたww

ですが、その時に私の中である感情が芽生えます。

それは「父」になるという責任感です。これから父親になるに当たって嫁子をしっかり食べさせていくためにも、仕事で成果を出して認められて、稼がなければと強く思いました。

ですが、時すでに遅し、もはや自分で考えることができなくなってしまっていました。

そして、上司からの激烈フィードバックが最後にトリガーとなって、心が弾け飛びました。

 

まぁ短い期間に一気にストレスがドンドンドンと、のし掛かってきた感じですね。

 

っと今回はここまでにします。次は心理的、身体的な変化をお届けします。

 

※注意事項※

なお、この記事は医学的な詳細や治療法ではなく、あくまで私M16Aの経験と自己実験、そして回復迄の試行錯誤になりますので、参考にされる方やトライされる方は自己責任でお願いします。