M16Aのブログ

うつ病と診断された私の回復までの軌跡です。

膝の骨折って面倒い

長梅雨になるかもしれないとの天気予報にちょっと憂鬱になったM16Aです。

 

単独事故から一週間ちょっと、昨日は通院で膝・足の経過は良好ですが折れたまんまです。

今回、膝のお皿が骨折しているために膝を曲げることは御法度という状態。

私の人生で2度目の骨折になるんですが、最初の骨折は今回と被る足の甲の骨でした。

その時はヒビ(※ヒビも厳密には骨折らしいです。)が入っていたようで当時の私はちょっと足痛いなくらいで気付かずに別の場所をレントゲン撮った時についでに撮ってもらって発覚したレベルでした。

まぁコンタクトスポーツをしていなかったので骨折なんて縁遠かったんですよね。

 

そんな骨折初心者の私が右足2箇所、しかも膝は曲げられないので不便で仕方ないです。松葉杖の使い方もやっと様になってきたかなって感じです。

そんな状況もあって1日の大半はベッド生活です。足伸ばしてソファーに座れないこともないんですが、固定された足の甲がじわりじわりと痛みが出るので無理。

 

結局、食事とトイレの時以外はベッドでゴロゴロ。最初はYouTubeとかNetflixとか見てウェーイとか言ってたんですが、流石に飽きてきて、、、

 

社会人になってからの骨折での休職は経済的にも生活でも面倒いと思いました。

事故とうつ病って、、、

今現在は事故で負傷した右足の骨折以外はメンタル的にも安定しているので、一応は大丈夫と言った感じです。

 

今回事故に会って、1番に思ったことは周りの人への感謝でした。

平日の午後13時頃の事故だったんですが、痛みで道路のど真ん中で1分ほど動けずに蹲るような状況でした。

幸いにもバイクは通行車両の邪魔になりにくいところにデーンと転がっていたのでまだよかったんですが、私はなかなか足が動かず、どうにかこうにかして歩道に逃げ込みました。

その時に「あぁ、誰も助けてはくれないもんなんだな」と思い、ひとまず目で見える傷の確認をしました。足の怪我が酷く膝と足の親指付根に大きくエグれるような裂傷があったのでこれ骨折れて突き破っているかもと思いました。

そんな確認をして、意識は意外にはっきりしていたので通報を使用と思った時には4〜5名の方が私のバイクを歩道脇に寄せてくれ、しかも通報してくださっていたのです。

 

その時に「なんて良い人たちなんだろう、助かった」と思いました。その瞬間に安心感からか意識が急に遠のく感覚が襲ってきたので、近くの人の問いかけに答えてどうにか意識を保つことができました。

 

不慮の事故とは言え、見ず知らずの他人に手を差し伸べてくれる人の誠意には感動を覚えました。

 

個人的な見解ではありますが「うつ病」も交通事故と近視感があるように思えます。

突発的な出来事や職場環境の変化、人間関係の悪化など「うつ病」の発症原因は十人十色といって良いと思います。※専門家ではありませんのであくまで「うつ病」だった自身と照らし合わせています。

 

ですが、交通事故・うつ病のどちらにも重要なのは周りと家族のサポートという点です。

勿論、うつの場合は見知らぬ人が助けてくれると言ったことはありませんが、友人や知人、会社の同僚など様々な人のサポートがあってこそ快方への道ができてくると思います。

そんな中でも家族のサポートは最重要です。これ無くして寛解はあり得ないです。

家族が病気を理解し、寄り添うだけでも「自分は一人ではない」と思えるものです。

※私の実体験です。

また、極力意欲を示したものはやらせてください。飲酒などの生命の危機に陥る可能性のあるものは当然ダメ(薬の効果にも影響があります。)ですが、読書がしたいやゲームがしたいなどの衝動がある場合は快方へ向かっている証拠でもありますので変に制限などはせずに衝動が一旦落ち着くまではさせてくれた方がいいです。

※私の場合は1日の中で何度か衝動が現れてすぐ消えると言ったことがありました。

 

長々と気がつけば1000文字オーバーで読みづらい文章になってしまいましたのでここで一区切り。

 

何はともあれ、「うつ病」は事故で言えば後遺症が少なからず残ってしまうようなものです。生涯付き合っていく必要のある病気だからこそ「心の風邪」なんて生易しい表現ではすむものではないです。

だからこそ、本人と家族の理解と周りのサポートがとても大切だと私は思います。

 

長文にお付き合いいただきありがとうございました。

気がつけば一年半が過ぎていました(^^;;

各地次々と梅雨入りしていますが、皆様は如何お過ごしでしょうか。

前回の記事更新からなんと気がつけば一年半余り経過してしまっていました。特別愛読されている方がいるわけではなさそうな、私のブログですがご覧になられた皆様ありがとうございます。

 

さて季節も年月も過ぎましたが、色々とご報告になります。※以下箇条書きです

2020年出来事

・2月より社会復帰、新たな職場で再スタート※180度真逆の職へ転職

・20年3月にうつ病寛解の診断をもらうことができました。

・同月3月に長女が誕生。待望の第一子。

・子育てと新しい職場の環境に四苦八苦した4〜8月

・慣れてきた10月に適応障害の診断。

・ひとまずどうにか乗り越えた20年

 

2021年出来事(5/22まで)

・2月中旬に職場の内部体制変更により体感で仕事量が10倍に、、、

・3月長女1歳の誕生日。

・4月適応障害の症状が悪化。服薬量が増加。

・5/18通院のためバイク走行中に進路妨害車を避けるために転倒。右膝蓋骨骨折、右足第2中足骨骨折。右膝裂傷・右足親指付根裂傷の縫合。特に右足親指の裂傷が酷く骨に達する直前でした。

・同日より医師の診断により6週間の休職となりました。

 

いやぁ〜人生万事塞翁が馬とは言いますが、ここまで重なるってのもなんだかなと思います。

幸いにもコロナ化でも職がなくならなかったのが不幸中の幸だなと思う今日この頃です。

 

飛び飛び更新になるかもしれませんが、細々と更新していきます。

8月からの進展

もはや、思考が停止したり、言い知れぬ不安感が急に襲ってきたりした怒濤の8月がすぎ、小康状態を保った9月が終わり、早、10月となりました。

 

8月は正直言ってキツかったの一言ですね。

たまたま、嫁が妊娠を機に家にいることが多かったのが本当に救いでした。

嫁も私も保険業に携わっている身なので精神疾患についてはある程度理解がありました。

 

私にとっての当時のNGワードは「あなたはどうしたいの?」でした。

この言葉と詰めた話し方をされると、思考が停止して全身から汗が噴き出て手が震えるような状態でした。

嫁はそこを最初に理解してくれ、私に対して寄り添ってくれた事が功を奏して、回復は順調でした。

 

こういったときの家族の理解と支援は本当に大事だと思います。

また、私の場合は自責で鬱になってしまっているので、急かされたりすると逆効果だったと思います。

ですが、母にはあまりご理解頂けていなかったようで、思考停止する事が何回かありました。

 

そのため、今は母とは距離を置いているような状況ではありますが、こればかりは時間薬しかないと思います。

 

何はともあれ、大分回復してきて、以前のような思考が出来る様になってきました。

寛解にはまだ時間がかかりそうですが、鬱になったら、まずはゆっくりする事が何より大事だと思います。

その時の家族のサポートのある無しで回復までの道のりは変わってきます。

色々とありましてwww

いやはや、PCの不調やら何やらで2ヶ月近く更新できていなかった状況でした。

 

鬱の症状は大分改善され、現在では元気だった頃と遜色ないくらいにまで回復してきました。

 

まだ、働くには早いとの主治医の判断で12月末までは療養となりました。

ですが、この2ヶ月で色々と思う事は多く、私の独断と偏見で少しずつ更新していきます。

 

購読者の方はいらっしゃらないですけど、見てくれた方、私は元気です。

昨日の続き〜!!

本日は昨日の続きになります。

昨日はうつになる迄の経過でしたが、本日は心理的、身体的な経過についてです。

 

短い期間に一気にストレスがかかったわけですが、それによって私の心理的、肉体的に起きた症状を簡単にかくと

心理的

寝起き編

ちょっとした不安感朝起きたら何故か不安、涙出る朝起きたら絶望感、涙が止まらない

会社編

なんか心にブレーキ感と霞感人に指摘ができなくなる、なんかわかんないけど億劫ブレーキ感増大、濃霧へ変化ちょっとしたことでどん底の気分になったり、急にハイになる。

 

【身体的】

起床編

変に咳が出る、お腹ゆるい嗚咽が出る、お腹くだる嘔吐と動悸嘔吐、動悸、手の震え

会社編

なんか膨満感よく屁が出る頭痛、気分不良動悸が起きる突然の動悸と呼吸が浅くなる突然の動悸、浅い呼吸、めまい

 

とまぁこんな感じで症状が変化していきました。

最初は疲れてるのかなくらいに思っていましたが、徐々にそして確実に症状は悪化していきます。

初期であれば漢方薬などで体に負担をあまりかけずに治療ができるようですが(病院によりけりみたいです。)、悪化してしまうと西洋医学系の薬になります。

漢方は比較的依存度が低いようですが、西洋系の薬は依存しやすいみたいです。

現在、私は西洋系の薬を服用しています。一旦は様子見と薬が合うかを試すために弱い薬ですが、症状の改善が見込めない場合は強いものに変更される可能性があります。

 

どちらにせよ、回復に向けてこのブログを行なっているわけですが、症状の度合いによって出来ることは変わってくると思います。

私は、休職出来るとわかってから心がだいぶ軽くなりました。

でも、まだ場所、人、言葉に対して敏感な状態なので時間はかかる感じです。

きっかけと原因

私がうつ病になってしまったきっかけについて綴っていきます。

備忘録的な部分もありますので、読み辛いかもしれませんのでご容赦ください。

また、結構な長文なので休み休み気長〜に読んでください。

あと、結構最近の出来事です。

 

私の場合はズバリ、タイミングです。

 

うつ病って私もなるまでは、何かしら恒常的な精神的ストレスが長期間に渡ってかかり、徐々になるものだと思っていました。

ですが、今思い起こせばあの時に始まっていたんだなと思います。

どういったタイミングでうつへと進行していったのかですが、私の場合は父の緊急入院と余命宣告でした。※父はまだ闘病中で自宅で療養しています。特に管はまだついていないです。

 

今年2019年5月末に父が吐血により緊急搬送され、6月に主治医より余命2~3ヶ月の診断を受けました。

丁度、時期を同じくして私も昇格となり、先輩社員(同役職)と一緒に新チームを立上げようとしていました。サラリーマン的には大事な時期です。

 

ですが、父の余命宣告からすぐにあることがおきます。

 

何だかわからないけど、心にブレーキがかかってしまっている感じ、そしてなんか心に霞がかかったような感覚がおき始めました。

そして、父をいつ亡くしてしまうんだろうという言い知れぬ不安感が、朝、目覚めた時に襲ってくるようになりました。

最初は気が動転していて、疲れているのだろうくらいに考えていたんですが、日を追うごとに心のブレーキ感覚は増していき、霞は濃霧へ、不安感は絶望感へと変化していきました。

その頃から、自身で考えて業務を行ったり、こうやったらもっと良くなるといった改善活動が見つけられなくなり始め、言われたことしかできなくなっていきました。

そのせいで、先輩社員や上司からキツめのフィードバックをもらったりと仕事もうまくいかなくなり始めます。

 

そして、父が退院して自宅療養が始まった7月中旬に私の婚約者が身籠もっていることがわかり、歓喜しました。父にはまだ孫がいなかったので、もしかしたら孫パワーで孫を見るまでは耐えてくれるのではないかと希望が見えた時期です。

※決してデキ婚ではないです。父のことでいつ籍を入れるか話し合いをしている最中でしたww

ですが、その時に私の中である感情が芽生えます。

それは「父」になるという責任感です。これから父親になるに当たって嫁子をしっかり食べさせていくためにも、仕事で成果を出して認められて、稼がなければと強く思いました。

ですが、時すでに遅し、もはや自分で考えることができなくなってしまっていました。

そして、上司からの激烈フィードバックが最後にトリガーとなって、心が弾け飛びました。

 

まぁ短い期間に一気にストレスがドンドンドンと、のし掛かってきた感じですね。

 

っと今回はここまでにします。次は心理的、身体的な変化をお届けします。

 

※注意事項※

なお、この記事は医学的な詳細や治療法ではなく、あくまで私M16Aの経験と自己実験、そして回復迄の試行錯誤になりますので、参考にされる方やトライされる方は自己責任でお願いします。